恋の診療所
「……診療所をやりませんか?」 突然そう切り出されて、有川重彦は驚いた。 「おいおい。おれは作家であって、医者じゃないんだぞ。なんでまた……」 「ですから、連載をお願いしたいんですよ。タイトルが『恋の診療所』」 早い話が、週刊誌の『恋愛相談』コーナーの依頼だったのだ。読者からの悩みに知識人が答えるというおなじみのあれである。 「とうとう来たか……」重彦はため息をついた。たいていの場合、こういうものは「一度は名が売れたが今はヒマな人物」つまり、落ち目の人間にまわってくるものなのだ。 「おれは創作活動で忙しいんだ。そんなものはよそに頼んでくれ!」 本当はそう言って断りたかったのだが、生活のためには仕事で稼がなくてはならない。結局重彦は依頼を引き受けた。 かわいそうなのは、相談を送ってくる読者たちである。 「私はある女性と道ならぬ恋に落ちてしまいました。真剣なんです。どうしたらよいでしょう。(37才・男性)」という質問にも、「一度踏み外した道ならどんどん外れなさい。人の前に道はない。あなたの後に道ができるのです」などとテキトーに答える始末。 編集者が「もうちょっと親身になって答えてくださいよ」と懇願しても、重彦は耳を貸さない。 「うるさい。まるで関係のない他人に親身になれるわけがあるものか」 だが、ある日。重彦が打ち合わせから帰宅すると、妻の姿が消えていた。 テーブルの上には「道を外れます」とひとことだけ書かれた置き手紙が。 重彦はただ茫然と立ち尽くしていたが、しばらくしてぽつりとひとこと。 「イヤイヤやってきた連載だったが、たまには役に立つこともあるんだな」