弓彦怒る
昔々のこと。ヤマ国とタニ国はわずかばかりの領土を巡って戦争をしていた。 このままでは双方の被害が増すばかり。そこで、代表を一人ずつ出し、対決させて決着をつけることになった。 「勝負は弓で行う。細かいルールはこちらで決めさせてもらおう」 ヤマ国側の提案に、タニ国は従わざるを得なかった。戦況はヤマ国の方がやや優勢だったのだ。 だが、タニ国の民は安心していた。タニ国の若者は武芸に長けている者ばかり。数ではヤマ国に劣るものの、一対一ならばこちらが有利。そう考えていたのだ。 「こちらはヤマ国一の弓の名手、マカリを代表に出そう。そちらもタニ国一の名手を出してもらおうか」 タニ国には弓彦という天下一の名手がいた。にもかかわらず、タニ国民は絶望のため息を一斉にもらした。弓彦は頑なな平和主義者として有名だったのだ。 ヤマ国の代表・マカリは不敵に笑った。「お前は人を殺めるのはもちろん、傷つけることすら絶対にしない主義なんだってな。フッ、臆病者め! 勝負を受ける勇気はあるのか?」 弓彦は一歩前に出ると、冷静な表情のまま叫んだ。「受けて立とう!」 「そうこなくっちゃ」 マカリの合図と共にヤマ国の兵隊が一斉に動いたかと思うと、瞬く間に弓彦を側にあった一本の木に縛り付けた。 「おい、弓の勝負じゃなかったのか?」弓彦の声に「安心しろ、対等だ」と、百メートル先からマカリ返答した。見れば、マカリも弓彦と同様に木に縛られている。 「ここから同時に矢を放って、相手を射抜いた方の勝ちだ。いいな!」 二人とも胴と足の部分を縛られただけで、両腕は自由になっている。弓彦は娘のミアから弓を受け取った。 「勝負は一回きりだ!」マカリが弓の調子を確かめながら叫んだ。 「一回で決まらなかった場合は?」 「ヘッ。そんな心配はいらねぇ。なぜならおれの矢は必ずお前の心臓を射抜くからな!」 タニ国の民は弓彦の側に来て口々に言った。「あんた、普段の主義主張はこの際捨てて、まっすぐに奴を狙うんだよ! マカリはかなりの達人。このくらいの距離の的は外さないよ」 しかし、弓彦は表情を崩さず言った。「おれは自分の主義を曲げるつもりはない」 「バカだねぇ! マカリを倒さないとあんた、死ぬんだよ」 「おれは負けないし、死にもしない」 その時、太鼓の音が高らかに鳴った。戦闘開始の合図である。両国の民は二人を遠巻きに取り囲み、固唾をのんで見守った。 甲高い笛の音が鳴り響いた時、マカリが叫んだ。「いくぞ!」 同時にマカリの矢が放たれた。弓彦は弓を構えてはいるが、矢を放とうとはしない。 マカリの放った矢は山なりに弧を描いて弓彦のもとへと突き進んで行く。 その時、弓彦はやっと矢を放った。だが、放った方向はマカリの方ではなく、真上に近い。 「グエッ」 弓彦の放った矢は超高速で頭上の鳥を射抜いた。鳥は悲鳴と共に墜落。弓彦の目前に迫ったマカリの矢は、落ちてきた鳥の体に突き刺さった。 ドサリ。足下に転がった野鳥の姿を見て、弓彦は言った。 「勝負は一回きりの約束だったな。残念。引き分けだ。さあ、縄を解いてくれ」 ドワー! タニ国民から大歓声があがる。マカリは悔しがりながらも、兵と共にヤマ国に引き上げた。両国は停戦を結び、平和が訪れた。 その晩、弓彦の家では、祝いの鳥鍋に皆が舌鼓を打った。 だが、平和は長くは続かなかった。 一年が過ぎた時、再び戦闘が始まったのだ。やがて、また代表で決着をつけることとなり、二人は木に縛られながら再度対峙した。 「今回のルールはどちらかが死ぬまでだ」 マカリの声と共に太鼓が鳴り響く。だが、弓彦の腕は小刻みに振るえていた。「……娘を、娘をどうした? 数日前から行方不明なんだ」 マカリは平然と答えた。「娘? ……ここには来られないように閉じこめてある。おれ達の勝負には邪魔だからな」 間違いない。愛娘ミアはヤマ国兵に拉致されたのだ。弓彦はグッと唇を噛んだ。タニ国の民は口々に叫ぶ。 「汚いぞ、ヤマ国!」「弓彦! 勝たないとミアちゃんは……」「バカ! 勝ったらヤバイんだよ!」「……じゃ、どうしたら……」 「うるさい、黙れ!!」弓彦は叫んだ。その表情は怒りに満ちていた。 笛の音。二人を取り囲んでいる両国民は、弓彦のただならぬ様子に静まりかえっている。 静寂の中、二人は一斉に矢を放った。宙を二本の矢が交差する。 「ウグッ」弓彦の放った矢はマカリの右腕を射抜いた。一方、マカリの矢は弓彦の頬をかすめただけである。弓彦は怒りのたけを叫んだ。 「マカリ! 次は手加減しないぞ! おれの矢はまっすぐにお前の心臓を射抜くだろう。死にたくなかったら娘を、ミアを返すんだ!!」 「……やってもらおうじゃないか。そんなおどしにはのらないぞ」 二度目の笛の音。二人は一斉に矢を放った。 マカリがやっとのことで放った矢は、すぐ前の地面に虚しく刺さる。一方、弓彦の放った矢は、弓彦の怒りを載せて一直線にマカリの心臓めがけて突き進んだ。 「ウワァ~……!!」マカリの顔が死の恐怖に歪む。 その時、ひとりの女がマカリの前に飛び込んできた。 「やめて! この人を殺さないで!!」それは弓彦の娘、ミアだった。 戦争は終わった。その日以来弓彦は弓を握っていない。 愛し合う二人を貫いた一本の矢。その光景が頭から離れなかった。 ミアは一年前のあの日から、マカリに恋するようになっていたのだ。愛する人と父が再び対決することに反対し、マカリの手で閉じこめられていたのだが、ミアはそこを抜け出して……。 弓彦は自分への怒りに震えながら、死までの数十年間を過ごした。