白黒クリーム
人が間違いを犯したからと言って、よく確認もしないまま、非難するものじゃない。重彦は身にしみてそう感じていた。 話は重彦が、かかりつけの医者を訪れたことから始まる。 「どうしました? 軽い風邪だそうですが、それにしては顔色が悪すぎますな」 「ええ。実は悩み事がありましてね。……どうやら妻が浮気をしているようなんです。夕べも帰りが遅いので心配して探し回った挙げ句、この通り風邪をひいてしまったわけでして」 「それはそれは……。で、奥さんは帰って来たんですか?」 「ええ。もう深夜になってからですが……。理由を聞いても要領を得ないんです。いっそのこと浮気を問いただしてやろうかとも思いましたが、証拠がないので『身に覚えがない』と言われたらおしまいです。何かいい方法はないもんでしょうかねぇ」 「では、私が開発した、このクリームはいかがでしょう?」 「なんです、それは?」 「これは、喋ったことがウソか本当かどうかがハッキリと顔色に出るクリームなんです。試しに私の顔に塗ってみますね。……これで何か喋ってみます。『今日はいい天気だ』」 「あっ、先生の顔が黒く……!」 「そうです。今日は雨ですからね。では……『私は男です』。どうです? 今度は白くなったでしょう? 私は男ですからね」 「すごい! これを妻の顔に塗っておけば、言い訳をされても、それがウソかどうかすぐに分かるわけですね」 「その通りです。これを分けて差し上げましょう」 家に戻った重彦は、さっそくそのクリームを妻のものとすり替えた。 妻がクリームを使ったと見るや、すかさず訊いてみる。 「おい、お前は浮気をしているだろう」 「そんなことあるわけないじゃない。何の冗談なの?」妻はさらっと受け流す。しかし、その余裕のある笑顔とは裏腹に妻の顔色はみるみる黒くなっていった。やはり、浮気をしていたのだ。 「こいつ……!」頭に血が上った重彦は、あらゆる罵詈雑言を並べ立てて妻を罵った。 あまりのことに泣き出した妻は「何のことか分からないわ」「あなたを愛しているのに……」と重彦にすがりついたが、依然としてその顔は黒々としたままだった。 怒りの限界に達した重彦は、妻の頬を思い切りはり倒した。そして、力ずくで妻を家から追い出すと、中から鍵をかけて閉め出してしまった。 「あなた、お願い、開けて! きっと、何かの間違いよ!」妻は必死で懇願したが、重彦は相手にしなかった。ドアを叩く音も、しばらくすると聞こえなくなった。重彦は窓からそっと外を伺う。 あんなに優しかった妻が浮気をしていただなんて……。冷静になってみても、とても信じられなかった。だが、肩を落として去っていく妻の黒い顔色が、すべてを非情に物語っていた。 それから数日後。暗い生活を送る重彦の元に、医者が訪れた。 「言いにくいのですが……どうしてもあなたに話しておかなければいけません。どうか驚かないで聞いて下さいよ」医者は神妙な面もちで切り出した。 「実は、どうもあのクリームの効能には男女差があったようなのです」 「男女差? どういうことですか?」 「男と女では効果が逆になることが後の実験で分かったのです。つまり、女性が使用した場合は本当のことを言うと顔が黒くなるというわけでして……」 「なんですって!」妻は浮気などしていなかったのだ。後悔の念と共にこみ上げてきた怒りを、重彦は医者に向けて投げつけた。「どうしてくれるんですか! あんたのせいでおれは、取り返しのつかないことをしてしまった。このヤブ医者め! 責任を取れ! 責任を!」 重彦はあらゆる罵詈雑言を並べ立てて医者を罵った。さすがに医者も気を悪くしたのか、憮然とした面もちで言った。「私はあなたにそんなことを言われる筋合いはありません」 「何を! 開き直りやがって。素直に罪を認めるんだ。あんたのせいで妻は……」 「奥さんなら、あの後うちに見えましたよ。黒くなった顔に気づいてどうにかしようとなさったんでしょうな。その時に診察して気づいたんですが……驚かないで下さいよ」 「え……?」 医者は白い頬をポリポリと掻きながら、言いにくそうに口を開いた。 「私、手術の跡を発見してしまったんです。奥さんは……男だったんですよ」