恋のACBD
「待ってくれ、真由美!」 車のライトが行き交う夜の高層ビル街。タクシーから降りて足早に去っていく女を、おれは必死に追いかけた。 「いやよ! ここで私が止まったら、奥さんと別れてくれるとでもいうの?」 「う……」 「ほら、ご覧なさい。あなたの愛って所詮そんなものだったのよ。私の他にも愛人がいることだってちゃんと知ってるんだから! あなたって人は何で同時に何人も愛せるの?」 そりゃ、そんなことおれにとっては当たり前だぜ……そう言いたいのをグッとこらえて、おれは叫んだ。 「おれは誰よりもお前を愛している! その証拠に、お前のことを試験に出してくれたら百点満点とる自信だってあるんだ!! だから、よりを戻そう!」 我ながら無茶苦茶な論理だったが、必死になっているときの人間の思考なんてこんなものだ。そう、それだけおれは必死だったのだ。女に追いつこう。その一心で全力で足を動かしていたおれは、歩道橋の階段を踏み外してしまった。 地面に頭を強打したおれの目の前はたちまち真っ暗になった。 * * 気がつくと、おれは真っ白い部屋の中にいた。 目の前の机の上にはテストの答案用紙。そして、おれの右手には鉛筆が握られている。 「何だ? 子供時代の夢かな?」 だが、それにしては様子がおかしい。やや広めの部屋には中央に机と椅子がひとつだけ。おれはその机に向かってひとり座っているのだ。 そして、正面の壁際には5人の女が立っていた。 頭を打ったせいでどうやら記憶の一部が失われてしまっているらしい。5人が誰なのか、はっきりと思い出すことができないのだ。だが、いずれも自分と深い仲だったらしいことは何となく分かった。ショートカットで健康的。5人のその共通点は、おれの好みにピッタリだったからだ。 女たちは突き刺すような視線でおれを睨み付けている。おれはたまらず視線を下へと移した。 その瞬間、おれの背筋は凍り付いた。机の上の用紙にはこう書かれていたのだ。
《愛の診断テスト》
※以下の質問に正直に答えなさい。
なんてこった。モヤモヤとした記憶の渦が回転するうちに、おれにもだんだんと事態が飲み込めていった。すべての状況から考えられる事態はひとつだ。 テレビタレントとして絶大な人気を誇っていたおれは、何人もの愛人を囲っていた。おそらくおれの事故を知って駆けつけた愛人たちと妻が、病院かどこかで鉢合わせしたのだろう。そして、結託した妻と愛人たちは、こんなテストなどという方法でおれにすべてを白状させようとしているのだ。 なんてこった。だが、こうなってしまったからにはこの場をうまく切り抜けるのが先決だ。おれは仕方なく、テスト用紙に目を移した。
【第1問】あなたは一度に何人の女を愛せるでしょう?
むむむ。最初からきびしい問題だ。だが、おれはすかさず回答欄に『1人』と書き込んだ。後でそれぞれの女に「1人っていうのは君のことだよ」と個別に言えば済むことだ。さて、次の問題。
【第2問】あなたが愛している順に並べなさい。
A:愛人 B:子供 C:自分 D:妻
むむむむむ。これは超難問だ。問題はAとDのどちらを一番に持ってくるべきかだ。前方の5人をチラチラと見ながら、おれは悩み続けた。 倫理的に考えれば当然妻を上にするべきだろう。だがそれでは愛人たちが納得しないだろうし、反対に愛人を一番にしたら妻が納得しない。 妻を選べば愛人たちを失い、愛人たちを選べば妻を失うわけだ。むむむむむむむむむむ。どうしたものか……。 「よしっ」 悩んだ末に結論を出したおれがテスト用紙に書き込んだのは『ACBD』という解答だった。 妻に涙をのんでもらったというわけだ。この場で愛人たち全員に去られるよりも、妻ひとりを失うだけのほうが被害は少ないじゃないか。そう考えたのだ。 また、妻とはこれから何回も話し合いの場が持てるかもしれないが、愛人たちには一度逃げられたらパーなのだ。そうと決まれば、いっそのこと妻や子供といった家庭的な要素は後ろにしてしまおう。その方が愛人たちも喜ぶ。
【第3問】あなたが必要だと思う順に並べなさい。
A:愛人 B:子供 C:自分 D:妻
それ以降の問題は第2問と大差ない内容だった。おれはそのすべてに『ACBD』と記入していった。 全10問の答えをすべて記入し終わったおれが顔をあげると、いつの間にか5人の女たちが机を取り囲むようにして立っていた。 おれはおそるおそる用紙を差し出し、静かに審判の時を待った。この際、妻のことはなるべく考えないようにしよう。むふふふふふふふ。愛人たちの感激する顔が目に浮かぶ……。 ほどなくして、女のうちの一人がわなわなと震えながら言った。 「これ……本気で答えたの?」 愛人たちの手前、ここでひるんではいけない。おれは胸をはって答えた。 「ああ、もちろん」 その瞬間、5人の女は勢いよくおれに覆い被さると、一斉に叫んだ。「ムキ~! 生きて帰さないわよ、アナタ!!」 床に頭を思い切り打ちつけたおれは、その瞬間すべての記憶を取り戻した。おれはよりによって一番大事なこと、一番常識的なことを忘れていたのだ。 自分がゲニヤ共和国出身の外国人タレントだということを。 「アナタ、アナタ、アナタ~!!」5人の黒い女たちは、それぞれの夫であるおれを力一杯殴り続けた。おれがぴくりとも動かなくなるまで。