監督様は神様です
その日、水上が撮影所に立ち寄ろうと思い立ったのはほんの気まぐれからだった。 水上はいらだっていた。 若手の実力派監督として颯爽と世に出たのが20年前。撮る映画を次々と大ヒットさせた彼は、いつしか神様と呼ばれるようになっていた。 だが、順調すぎる状況が、逆に水上を袋小路へと追い込んでいった。 「もう飽き飽きだ。故郷からすべてを捨てて出てきたのは、こんな生活を望んでいたからじゃなかったのに……」 神様、神様と持ち上げる周りの人間たち。仕事の依頼量と反比例して、水上の仕事にかける情熱はだんだんと失われていった。 金の心配はなかった。水上は、殺到する仕事依頼を名前だけの監督としてすべて引き受けたのだ。「水上」のネームバリューがあれば映画やドラマはヒットする。誰もが満足していた。当の水上以外は。 水上がドアを開けた時、スタジオでは撮影の真只中だった。 まさか水上自身がやってくるとは思わなかったのだろう。その場にいた全員が驚きの表情で水上を見つめた。 「これはこれは水上さん。突然またどうしました?」水上のゴーストを務めている無名監督の木元が、手をもみながら水上に近づいてきた。 「神様が来た」「ミナカミ様だ」周りの俳優やスタッフの間からは、そんな囁き声が聞こえる。 水上は木元を片手であしらうと、ディレクターズチェアにどかっと腰を降ろした。 「ちょっとチェックに来ただけだ。僕の名前で出る以上、恥ずかしいものは作って欲しくないからな。いいから続きを始めろよ」 スタジオの空気は一瞬で凍りついた。 撮影は再開されたものの、役者たちの演技には恐ろしいほどの緊張感がみなぎっていた。その緊張が伝わったのか、スタッフたちの間にも張りつめた空気が漂っている。 その空気を切り裂いたのは水上の怒号だった。 「なんだあいつは!」 水上に指をさされたのはチョイ役の若者だった。彼の演技は実にまったくヘタクソだったのだ。台詞に感情がこもっていないのはまだしも、小太りの彼の卑屈そうな笑顔は、場面の雰囲気を完全にぶち壊していた。 水上はツカツカと彼に歩み寄り、その胸ぐらを掴むと言った。 「なんだお前は! やる気があるのか!?」 そこで若者が何か返事をすれば、その場はおさまったのかもしれない。だがまずいことに、若者は呆然とした表情のまま黙り込んでしまったのだ。その態度が水上をさらに激怒させた。 「お前みたいな大根におれの名前で撮る映画を汚してもらっちゃ困る。とっとと降りちまえ!」 水上がそう怒鳴り散らすと、ガタガタと震えていた若者は、開き直ったかのように「フン」と鼻を鳴らして出ていってしまった。 「何がフンだ。だらしがない。さぁ、撮影を続けるぞ」 水上はそう言って再び腰を降ろした。だが続いたのは木元の怒号だった。 「何てことするんです!」 木元のあまりの剣幕に、水上は少したじろいだ。「なんだ? 今のやつのことか? あんなヘタクソの代わりなんか、いくらでもいるだろう」 「代わりなんかいるわけがない! あの人はこの映画に特別出演していただけなんだ!」 「……。というと……?」 「原作者ですよ! そもそもあの人は映画化に難色を示していた。再三の説得でようやくOKしてもらえたんです。意にそぐわない点があればいつでも話をストップできるという契約で。……今あの人が首を横に振れば、この映画はなくなるんだ!!」 「……」 「なんてこった! クランクインから三か月、みんな汗まみれで頑張ってきたっていうのに……」 いつの間にか、その場のすべての人間が輪になって水上を睨みつけていた。女優の中にはわっと泣き出す者もいた。 「あんたはここにいるすべての人間の苦労を一瞬で台無しにしたんだ!!」 「……お前、おれにそんな口をきいてただで済むと思ってるのか?」 「ああ構わないとも! 神様だか何だか知らないが、偉そうにしやがって。監督なんていくらでも代わりがいるんだよ。だけど、原作者がいなくちゃ、この映画は成り立たないんだ!!」 木元の口からは、水上を罵倒する言葉が次々と飛び出した。 水上はしばらくの間立ち尽くしていたかと思うと、急に体を小刻みに震わせ始めた。 「……フフフ。フフハハハハハハウワハハハハハハハ!」 立ち上がって笑い出した水上を、周りの人間は哀れみの目で見つめることしかできなかった。 「アハ、アハ……、アハハハハハ……」 ひとしきり笑い終わると、水上は低い声で静かに言った。 「……それを言うなら、俺を怒らせたらこの世界はおしまいだぞ。お前らも口々に言ってたじゃないか。おれのことを神様だって!」 その瞬間、世界中にあるすべての光が消え失せた。 「もともとおれが創ったものだ。台無しにして何が悪い。……フン」 そうつぶやくと、水上は故郷──天界へと帰って行った。 * * 真っ暗闇の世界に声が響く。 「なんだこのオチ。つまらないな。……フン!」 そうつぶやくと、あなたは小説を閉じた。 読者を怒らせてしまったのでこの小説はおしまい。読者様は神様です。