命の金庫
「この金庫を開けた者に、わしの財産のすべてをやろう」 大富豪リッチ氏のこの発表をテレビで聞いた瞬間、男は布団から飛び起きた。 金! それが男の今一番欲しいものだった。 汚いアパート暮し。風呂に入る金もなく、頭の上を常に蠅が飛び回る……そんなひどい生活とオサラバできるかもしれない。 淡い期待を胸に、男は家を飛び出した。 男がリッチ邸に着くと、すでに欲深い多くの人々で賑わっていた。 金庫室にはひとりずつしか入れないらしく、入口には長蛇の列。 中には男のように単に金欲しさだけで来た者もいれば、プロの鍵師や金庫破りもいた。しかし、皆ことごとく頭をうなだれて部屋から出て来る。 どうやらかなり厳しい金庫らしい。 「まぁ、ダメでもともとだ」男は列の最後尾に並んだ。 「本当にあの金庫は開くんですか?」 リッチ邸の一室。側近がリッチ氏に尋ねた。 「もちろんだとも。私はもちろん、誰にでも開けられる」 「しかし、すでに5万人以上がチャレンジしましたが誰も歯がたたないようです。あるベテラン鍵師は『あの金庫を開けるのは不可能だ』と断言しました」 「そうだな。お前には教えてやろう。……実はあの金庫の鍵は『命』なのだ。鍵穴に指を入れてしばらく待つと、その人物の生命を吸い取り開くという仕掛けなのだよ」 「そうだったのですか。だから、鍵穴に触れた者たちはあわててすぐに手を引っ込めていたのですね」 「ああ、生気を吸い取られる感覚があるからな。身の危険を察知するのだろう。どうだ。これなら、開けて財産を手に入れることは誰にもできまい」 「しかし、それではご主人様自身にも開けられないのでは……」 「確かにな。だが、金庫の中に入っているのはわしの全財産を受け取り可能になる権利書だ。わしは別に金庫が永遠に開かなくても困らないというわけだ。さあ、皆の困った顔をゆっくり眺めるとするか。命を削ってまで金を欲しがる馬鹿者が現れるかどうか見ものだぞ」 リッチ氏は、高らかな笑い声をあげた。 カチャリ。 男の目の前で軽い音をたてて、重い金庫の扉が開いた。 「やった、これで財産はおれのものだ! しかし、やけに簡単に開いたな……」権利書を握りしめながら、男はポリポリと頭を掻く。 鍵穴の中では、一匹の蠅が臨終の時を迎えていた。