今井くん、山へ行くかい?
「今井くん、今日は山へ行くかい?」 ある日の放課後。ぼくがたずねると、今井くんはにこっと微笑んだ。 皆で山道を歩く道中で、ぼくは胃が乾燥していることに気がついた。 同行していた同級生の宮崎カヤオの手には、お子様ランチの小さな旗が各指に1本ずつ立っている。彼はそれをヒラヒラとなびかせながら、アニメの絵コンテを日々サラサラと執筆しているのだ。彼の旗にまとわりついて飛んでいる大量の蚊を焼いて食べたところ、ぼくの胃は無事に回復した。 体調もよくなったので、母がくれたふわふわの綿を追いかけていったらハワイに着いた。 晴天のハワイで魚釣りをしようとしたら、係員の南国美女に「レンタル釣り竿の料金はこの箱に入れて」と厳しい口調で言われた。 まごまごしていると「ヒアよ、ここ!」とさらに怒られた。 それが彼女との運命の出会いだった。同棲をはじめたぼくたちが、その晩仲良く就寝しようとすると、布団がベチャベチャに濡れていた。ツンとした匂い。酢だ。 どうやら彼女が故郷ならではのやり方で布団をクリーニングしたらしい。彼女は「皮脂で汚れていたのよ。垢じゃないのよ。カアなのよ!」と懸命に訴えかけてくる。 だめだこりゃ。こんな暮らしは耐えられない。出ていこう。だが、別れはできるだけ爽やかにしたい。こわばった作り笑顔をしたぼくは、不自然に明るい口調で家の鍵を彼女に返した。 家を出ると、農民のおじさんが地面に這いつくばって両手で何かを押しながらにじりよってきた。それは鉈(なた)だった。 おじさんは突然羽化すると中山美穂になった。中山美穂は僕においしそうなハムを手渡すと、右手を挙げるやいなや叫んだ。 「ハオ!」 中山美穂の元気な挨拶に、しぼんでいたぼくの心は俄然ふくらんだ。 中山美穂は音楽キーボードを取り出すと高らかに歌いはじめた。鍵盤を見たぼくは驚いて「あ」と言った。ファの鍵盤に墓の絵が描かれていたのだ。救世主の墓だ。 美しい弾き語りを聴いて、すっかり中山美穂の虜になったぼくは、思わず彼女をデートに誘っていた。 「美穂さん。今日、これから雪山のゲレンデに行きませんか?」 * * 「なんだこりゃ。よく分からん物語だな」 渋い顔の教授にそう言われた研究助手は、一枚の書類を差し出した。「この物語は、どうやらこの原文を意訳したもののようです」 「なるほど。原文は短いな。どれどれ……」 * * 行く? 山、今井 おや? 胃カサカサ カヤオ手、旗蚊焼 母綿ハワイ 竿費箱 hereよ此処 床酢 皮脂よカアよ ハイ、キーさ 民夫、押す鉈 羽化、美穂、ハム ハオ、モコ あファ、墓ノア スキー! * * 「なるほど。並べてみると確かに対応しているな」 「はい。これらの古文書は当時の十代後半の若者が所有していたようです」 「その若者が作者なのか?」 「いえ、類似した文書は数多く出土しています。とくに、原文を仮名で記した文書は一字一句同じものが数え切れないほど見つかっているんです。これです」 * * いくやまいまい おやいかさかさ かやおてはたかやき かかわたはわい さおひはこ ひあよここ とこす ひしよかあよ はいきいさ たみふおすなた うかみほはむ はおもこ あふあはかのあ すきい * * 「声に出して読むと味わい深いな。よっぽど評価の高い古典文学の名作だったんだろう」 「はい。私もそう思って解読を続けていたのですが、さきほど新しい調査報告が入りまして……冒頭の『い』は『イタリアに咲く藤の花』つまりイトウを、末尾の『い』は『石を粉々に破砕する行為』つまりイシバを表すとのことなんです。もうワケが分かりません……」 教授は首を180度にひねりつつ言った。「う〜ん、謎は深まるばかりだな。文書の続きはないのか? そこにヒントがあるかもしれない」 「残念ながら続きは一切見つかっていません」助手は肩をすくめて4本の腕を広げながら言った。「どうやらこの文書が書かれてからほどなく、この第3惑星の知的生命体は絶滅したようです」