星の蒸気おじいさん
おれが小型機で降り立ったその星は、あきれるほど何もない星だった。 一面の荒野。 岩山でもあればまだ景色にアクセントがつくところだが、小さな岩が点在している他は全く何もない。真っ平らな岩地に砂埃が舞っているだけである。 「つまらん星だな……」そう呟いたおれの視界に、何かもやもやとしたものが飛び込んできた。 よく見ると、遠くに何か煙のようなものが上がっている。 「……!? 何だあれは?」 興味を持ったおれは、反重力ボードに飛び乗ると、煙の立ち上る方向へ向かった。 近づいてみると、その煙の正体はどうやら蒸気らしい。白く立ちのぼる蒸気の下では、ひとりの老人が座っている。と言っても、湧き出ている温泉に老人がのんびりと浸かっていたわけではない。 その蒸気は、その老人の頭から吹き出ていたのである。 蒸気は後から後から勢いよく噴出しており、時々「ピー」という音を立てている。その度に老人は「ウッ」「クッ」などと、うめき声をあげるのだ。 「……あの、すいません。一体何をしているんですか?」 不思議に思ったおれがそっと声をかけると、老人は全身をビクッと震わせて振り向いた。「……何の用だ? ピーッ。この星には誰も住んでおらんぞ、シューッ」 「あなたがいるじゃありませんか。一体こんな荒れ果てた星で何をなさっているんです?」 「……。何もしてはいない」顔に深いしわを刻んだ老人はムッとした表情のまま答えた。 「そんなことないでしょう。それは何かの修行ですか?」 「違う、ポーッ。私はただ、怒りに耐えているだけだ!」 「怒り? 何に怒っているんです?」 「……。……妻と子を、……愛する妻と子を殺された怒りじゃ! シュウワワーッ!!」 「……!」 老人は怒りをおれに向かってぶちまけ始めた。 楽しい思い出となるはずだったキャンプの地で、無惨にも崖から突き落とされた妻とまだ幼い子供。 犯人はすぐに逮捕されたものの、未成年だったため刑が執行されなかったこと。 怒りに気が狂いそうになりながらも何もできない悔しさ。このままでは自らの手で犯人を殺してしまうかもしれない。それを恐れた老人は、荒れ果てたこの無人星にひとり移り住むと、ただひたすら怒りに震えながら毎日を暮らしているのだという。 この事件のことは、おれもなんとなく耳にしたことがあった。30年前の事件だったが、その後未成年者の犯罪が起こるたびに、何度もマスコミに取り上げられていたからだ。 そう、30年。実に30年も老人は蒸気を吹き上げ続けていたのだ。 なんという話だろう! おれは、心から老人に同情した。悲しみにまみれた老人の怒りの大きさは計り知れない。 おれは立ち去りがたい気分のまま、しばらくの間蒸気を浴び続けていた。 そうだ。このままこんな星にとどまっていては老人の人生は無意味に終わってしまう。 「そろそろ吹っ切ってもいい時期じゃありませんか」おれはやさしく老人に声をかけた。「小型ロケットが向こうに置いてあります。一緒に母星に帰りましょうよ」 だが、老人はなかなか首を縦に振ろうとしない。 業を煮やしたおれは、ある妙案を思いついた。 これならば老人はおれと行動を共にしてくれるだろう。嘘をつくことになるが、母星に帰ってしまえば老人の人間らしい心も回復するかもしれない。 おれは老人の正面に回り込み、その皺だらけの両手を握りしめると言った。 「実は僕……、あなたの息子です。お父さん! 一緒に帰りましょう!!」 たちまち、老人の皺の中に埋もれた目は、大きく見開かれた。「な……、そんな……、ば、馬鹿な……」 「崖から落ちても奇跡的に助かったんですよ! 記憶を失った挙げ句、大怪我の整形手術で顔はだいぶ変わってしまいましたが……」 「ほ、本当に……息子……なのか……?」 あまりのことに、老人の耳にはおれの言葉がよく届いていないらしい。 「無理もないです。あれから30年。僕ももう、いいおじさんですからね」 「お、おお……! おお……」やっとのことで理解したようだ。老人は目に涙を溜めたまま、フラフラとおれに近づいてきた。 「お父さん!」おれはそう叫ぶと、老人をきつく抱きしめた。老人もおれの体に手を回す。 「息子…………よ…………。息子…………め!! ブシュウゥゥゥーーーーー」 「……!!!!!?!?!!?!??」 突然襲ったその衝撃に、おれはものも言えないままその場に倒れ込んだ。背中には一本の短剣が突き刺さっている。 視界が白く染まっていく中、おれは事件の詳細を思い出していた。 そうだった……! あれは小学生の少年が『自分の母親と妹』を突き落としてしまったという事件だったのだ。何で早く思い出さなかったのだろう。死んでも死にきれない話だが、おれにはもう死んでいく道しか残されていない。 そして、これからも老人は蒸気を噴出し続けるのだ。 我が子を殺してしまった自分自身への怒りに震えながら。