デブの右手はタイムマシン
「もう別れましょう」 ホソミにそう言われて、フトシは食べていた肉まんを思わず喉に詰まらせてしまった。 「ブグゴボッ! ……な、なんで!?」 「だって、あなたったら年中食べてばかりなんだもん。そんなに太ってたら人生うまくいくわけないじゃない」 「デブをバカにするなよ! おれはこの体型でも成功してみせるさ。だから、別れるなんて言わずにもうちょっと時間をくれよ」 「じゃ、半年だけ待ってあげる。その間にがんばってみることね。半年経ったらまた会いに来るわ。その時に何も変わっていないようだったら……」 そっけなく手を振りながら、ホソミは去っていった。 その日からフトシは生まれ変わったように働き始めた。 ただし、食生活は相変わらずで、よく食べた。成功したときに痩せていたのでは「デブでも成功できる証明」にならないからだ。そのかわり、食事の時間以外は死にものぐるいで働いた。 だが、3日もすると元来の怠け者の性格が顔を出してきた。クタクタになってボロアパートへと帰ってきたフトシは、夜食をたらふく食べると布団に大の字になった。 「もうダメだ。なんとか楽に成功する方法はないものかなぁ」そんなことを考えながら、フトシはウトウトと夢の中に入っていった。 すると、夢の中には白いヒゲの老人が現れた。 「あなたはどなたです?」 「ワシは神様じゃ。久しぶりに地上の様子を見に来たところ、働き者の若者を見かけてな。褒美にその若者の願いをかなえにやってきたというわけじゃ。さぁ、何でも願いを言いなさい」 フトシは飛び上がった。ほれ見ろ。幸運なんて簡単にやってくるじゃないか。これで彼女を見返せる。「願いですか。ええと……」 「何でも言いなさい。ワシに不可能はないんじゃから。今一番したいことは何じゃ?」 「……そうだ! 僕は……タイムマシンが欲しいんです。大好きな彼女がいるんですが、半年待たないと会えないんです」 フトシはけなげに懇願した。もちろん、内心では笑いが止まらなかった。タイムマシンがあればどんなギャンブルでも百発百中。たちまち大金持ちになれることを知っていたのだ。 「……なるほど。恋心とは美しいものじゃな。分かった。かなえてしんぜよう」 神様はそう言うと、手に持っていた杖を振り上げた。 「エイッ。これでお前はタイムマシンを手に入れた」 「えっ、ど、どこです? 見あたりませんが」 「お前のその左手じゃよ。何でもいい。その左手で開けたドアはたちまち時空を超える扉となるのじゃ。ドアの向こうには半年後の世界が待っている。そのまま反対からくぐり直せば現代に戻れる。右手でドアを開ければ何も起こらない。分かったかな? では願いはかなえた。サラバじゃ!」 「ハ、ハクション! ……ズー」 朝、夢から覚めたフトシは、鼻水をすすりながら寝ぼけマナコで左手を見つめた。 「や、やったぞ!」 フトシはこの左手がもたらすであろう素晴らしい未来を想像した。金、車、家……なんでも手に入るのだ。そして戻ってきたホソミとの甘い生活……。布団からふらふらと立ち上がったフトシは、高鳴る胸を押さえながらおそるおそる部屋のドアノブに手をかけた。 ギュイイイイゥゥゥゥ……。 だが、大きな音をたてたのはドアではなく、フトシのお腹の方だった。 「ま、焦ることはない。まずは腹ごしらえだ。ゆっくりメシを喰ってから半年後への冒険へ向かうとするか」 さぁ、何よりも楽しい食事の時間だ。フトシは舌なめずりをしながら冷蔵庫の中の食材を物色し始めた。 「さ~て、何を食べようかなぁ~」 * * 半年後。フトシのアパートを訪ねたホソミが見たのは、異臭を放つ大きな肉塊だった。 「死因は食中毒。死亡したのは約半年前です。消費期限をかなり過ぎたものを食べたようです」 検死官の言葉に涙しながら、ホソミは首をかしげた。 「何でそんなに古い食べ物があったのかしら? 3日もあれば冷蔵庫を空にしていた人なのに……」 その時、部屋の片隅にあった冷蔵庫がカタカタと小刻みに揺れたかと思うと、中からくぐもった男の声がかすかに漏れ聞こえて来た。 「さ~て、何を食べようかなぁ~」 それは半年前、冷蔵庫に顔を突っ込んで食べ物を物色しているフトシの声だった。