年刺客

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年刺客   玉生洋一

 正月の朝というものはいいもんだ。  そんなことを思いながらのんびりと年賀状を眺めていたおれは、思わずのんでいたお茶を吐き出しそうになった。  その年賀状にはこう書かれていたのである。   あけましておめでとう。 ころしもよろしく!    な、何だこれは。正月から縁起が悪い。「と」が「ろ」に見えるなんて、なんて字の汚い奴だ。とっさにそう思ったが、万年筆で書かれたと思われるその字は非常に丁寧なものであった。「一体、誰が……」表を見たが送り主の名前は書いておらず、ワープロの文字でおれの住所と名前が書かれているだけである。  くだらん悪戯だ。それとも、これがユーモアだとでも思い込んでいるのだろうか。「今年」と「殺し」を掛けているつもりなのだろうが、意味が全然分からんじゃないか。「殺しもよろしく」だと? おれに誰かを殺せっていうことか? 「殺すからよろしく」だったら、まだ恐怖感も湧こうというものだが。  「あなた。おせちの用意ができたわよ」隣の部屋から妻の呼ぶ声が聞こえたので、おれは、その年賀状をくしゃくしゃにして屑入に放った。爽やかな元旦の気分を壊されたような気がして、少し腹が立っていた。  その気分も、食卓につくとすぐに直った。妻と息子と娘は、三人で声を揃えておれに年始の挨拶をした。 「ああ、新年おめでとう」そう返事をしたおれの頭からは、さっきまでの嫌な気持ちは消えていた。こうして家族四人が揃って食卓を囲むことは、最近はほとんどなかったのである。  それも無理はない。息子は一浪の末去年やっと大学に入学して遊びまわっているし、娘も高校の部活動だとかに夢中になっているからである。しょうがないことだ。子供たちは、家の外で活動する年齢になったということである。子供たちには子供たちの世界ができたのだ。それだけのことである。おれは理解のある親なのだ。  第一、おれ自身が仕事の帰りが遅いのにも原因があるのだ。少しも寂しくないといえば嘘になるが、子供たちも別に不良になったわけではない。おれは、たまにこうやって家族の団欒というものができさえすれば、それだけで満足なのだ。  元旦の朝の食卓は穏やかに過ぎていった。お決まりの年頭の会話。昨日の紅白の話。初詣はどうするかという話。会話はそれくらいで、特別に弾むわけでもない。しかし、この年齢の子供たちだ。当然である。妻とも結婚して二十年以上経つ。最近は特に、必要なことだけ短くしか言葉を交わさないようになっている。もう別に言葉を交わさなくても、意志の通じあう仲になっているのだ。  今年もこのように何事もなく過ぎればいいな。おれはそう考えていた。  食事が済むと、妻は後片付けを始め、子供たちは各自の部屋に引っ込んでしまった。元旦だからといって、普段しない親との会話をするのも気恥ずかしいのだろう。別に気にすることもなく、おれもすぐに書斎に戻った。  書斎でまた年賀状を見ながら送っていない人の名前をチェックしていると、妻がおれを呼びに来た。 「あなた、お客さんよ」 「誰だ」 「会社の人じゃないかしら。若い人よ。どなただったかしら。向こうがあたしのこともよく知っているようだったから、名前聞けなかったのよ。客間にお通ししたから、あなた早くいらして」  へえ。誰だろう。元旦から年始の挨拶に来るような奴が、おれの会社にいたかな。おれは、そう思いながら客間の襖を開けた。  見たことのない男が座っていた。  三十前位の痩型。色白で、どこか中性的な感じのする顔立ちである。きちんと羽織袴を着込んで、傍らには手土産らしい細長い包みを持っている。  確かに、どこかで会ったことのあるような印象は受ける。しかし誰だかまったく思い出せない。  客はおれを見るなり、満面に温厚そうな笑みを浮かべたかと思うと、「これはどうも、新年明けましておめでとうございます」と、深々とお辞儀をした。  おれはそれに「これはご丁寧にどうも」と返答しながら、困ったことになったと内心思っていた。  誰だったっけ。妻の言う通り、向こうはおれのことをよく知っているらしい。しかしおれの方は、このにこやかに微笑んでいる男の名前すら覚えていないのである。会社の人間ではないことは確かだ。いったい誰だったろう。これがおれのど忘れだとしたら、たいへん失礼なことである。どのような関係の人間だったか、それだけでも思い出せればいいのだが……。  おれがどのように話を始めようか必死になって考えていると、客の方が先に話しかけてきた。 「お困りになっているようですな。それも無理はない」  おれは安心して肩の力を抜いた。この客は、おれがすぐに分からなくても無理のない人物なのだ。きっと何年ぶりかの対面なのだろう。それならば、分からなくてもさほどの失礼には当たらない。  おれは申し訳なさそうに言った。「実はそうなんですよ。失礼ですが、どちら様でしたっけ……」  客は真面目な顔をして言った。 「わたしは年始客です」 「そんなことは分かっている。おれが聞きたいのはあんたがどこの誰かだ!」……と叫びたいのをおれは我慢した。どうやら客とおれは冗談を言い合える間柄であるらしい。 「それは分かるんですが、あの……」 「だからね、刺客です。あなたの命を貰いに来た」 「冗談はいい加減にして下さい! あなたは、一体どなたなんですか!」おれは思わず叫んだ。今度はちゃんと口に出してだ。  命を貰いに来ただって? 冗談にもほどがある。 「わたしは家族です」 「家族?誰の」 「あなたのです」 「うちの親戚の方?」 「いえ、あなたの家族です」  おれは少し薄気味悪くなってきた。こいつは頭が少しおかしいんじゃないだろうか。おれとこいつが家族である筈など、絶対にないのに。何とか適当に応対して、このおかしな客に早く帰って貰おう。おれはそう考えて、撫然とした表情で言った。 「で、ご用件は何なんです」 「だから、あなたを殺しに来たと言っているでしょう」  おれはまた叫びだしたい気持ちを無理矢理押さえつけ、平静を装って聞いた。 「なぜ、わたしがあなたに殺されなきゃいかんのです。あなたはわたしの家族なんでしょう? 家族であるわたしを、なぜ殺すんです」 「だからこそ、殺さなければいけないのです」男はそう言うと、懐から封筒を取り出し、中から書類のようなものを取り出した。「ええと、あなたの奥さんは華子さん。四十五才。宝飾店勤務。間違いないですな」 「確かにその通りだが……。何だ。あんた、興信所か何かの人か」 「長男信一さん。二十。私立大学一年。長女優子さん。十六才。公立高校二年。間違いないですな」  その通りだ。こいつ。おれの家族のことを調べたりしてどういうつもりなんだ。おれは、男の手の書類を引ったくった。  その三枚の書類には、それぞれ妻と息子と娘の顔写真が貼ってあり、何やらたくさんの書き込みがしてあった。 「ちょうどいい。見ながらご説明しましょう」男は、穏やかな表情を崩さずに続けた。「この左側の欄をご覧下さい」  そこには、『給料が安い』『センスが悪い』『髪が薄い』『足がくさい』『短い』などの言葉が並んでいた。 「何だ、これは」 「これは、奥さんのあなたに対する不満です」 「何だって」  確かに、それらのことは全部おれに当てはまるものばかりだった。息子と娘の紙にも、同じ類の言葉がそれぞれの言い廻しで書いてあった。 「あ、あんた、いつの間に、お、おれに内緒でこんなアンケートを採ったんだ!」怒りに震えながらおれが言うと、男は平然と答えた。 「アンケートじゃありません。全部わたしが書いたのです」 「何だと。何でこんな出鱈目を書いた?」 「出鱈目ではありません。全部本当のことです。わたしは、あなたの家族の代表なのです。あなたの家族がそう願ったから、わたしはあなたの命を頂きに参ったのです。それでは失礼します」  男はそう言うと包みを開き始めた。中からは見事な日本刀が出てきた。  どうやら、こいつは本当におれを殺すつもりらしい。事態をのみ込んだおれは、座ったまま少し後ずさりをした。 「す、すると、お前はおれの家族にやとわれた……、こ、殺し屋のようなものか」  男は刀をゆっくりと脇に抱えながら言った。「まあ、そのような者です。やっと分かって頂けましたか。前もってご挨拶のハガキを差し上げたんですけどねえ」  それでは、あの年賀状はこの男が書いたものだったのか。おれは、呻くように呟いた。「し、信じられない。家族がおれを殺したいほど憎んでいるなんて。さっきだって、別に普段と変わらなかったのに……」 「勘違いなさらないように。みなさんはあなたを別に憎んでいるわけではないのです。あなたは必要とされていないだけなのです。不必要なものは、切り捨てられるのが当たり前なのです」  だから文字通り刀で切り捨てようってのか。冗談じゃない。「おれが家族に必要とされていない? そんな馬鹿な。おれがいなくなったら、どうやって生活して行くつもりなんだ。妻の稼ぎだけでは子供たちの学費は払えないぞ」 「確かにその通りです。生活は多少苦しくなるでしょう。しかし、やって行けないことはないのです。息子さんは来年、奨学金を貰うつもりです。娘さんの学費くらいなら、奥さんの稼ぎと生命保険で何とかなります」 「せ、生命保険? そ、そうか。保険金目当てかッ。しかし、殺し屋をやとうなんて、なんて非現実的な……」 「わたしは、金でやとわれた殺し屋ではありません。保険金目当てでもありません。奥さん、息子さん、娘さんの、あなたは不必要であるという気持ちが実体化したものなのです。わたしの顔をよくご覧なさい」  そう言われてみると、男はおれの家族を足して三で割ったような顔立ちをしていた。さらに、家族の年齢を足して三で割っても二十七才で、男の風体と合致する。どこかで見たことがあると感じたのは、こういうわけだったのだ。 「理解して頂けましたか。しからば、御免」  男はそう言うと、日本刀を鞘から引き抜いた。まばゆく光る切先が、おれの眼前に突き付けられた。おれはその時始めて、自分がすでに腰を抜かしていることを知った。  おれは必死に喋った。「ま、待ってくれ。なぜおれが殺されにゃならんのだ。おれは酒も呑まないし、家庭内暴力をふるった覚えもない。家族に対する理解だって人並以上にある筈だ。妻と喧嘩したことはここ数年ないし、息子の大学のことにも口出しはしなかった。娘にだって、門限を決めたりして縛り付けたりするようなことは何もしていないんだ。おれは殺される覚えはない。おれが殺されるのだったら、世間の他の親たちの方が殺されるべきだ」 「まだ、ご説明が足りないですか」男が刀を鞘に収めたので、おれは少しほっとした。 「いいですか。確かにあなたは、そんなにひどい父親ではない。この欄をご覧下さい」  おれは男の指差した欄を見た。そこには『口うるさくない』『一応稼ぎがある』『人畜無害』などと書かれていた。 「これはあなたの、家族によく思われている点です。しかし、いささか量が少ない。不満な点に簡単にかき消されてしまうくらいの量しかないのです。これが、昨年度まででしたら違ったのです。息子さんも浪人生で先行きが分からなかったでしょう。それで、少なからずあなたを頼る気持ちがあったのです。これをご覧下さい」  男は一つの円グラフを指さした。それは『必要三四%』『不必要六六%』となっていた。 「これは一昨年の四月から去年の三月までの、息子さんがあなたを必要としている度合いを表したものです。そして今年度のがこれです」  その隣の円グラフは、『必要六%』『不必要九三%』『その他一%』となっていた。 「これでお分かりになったでしょう。奥さんと娘さんのも同様です。今年度に入って、お三方すべてがあなたのことを必要だと感じなくなっているのです。お子さんは親離れをする時期ですし、奥さんも息子さんを大学に入れることが出来てほっとしたのでしょう。一番まずかったのは去年、あなたのお母様がお亡くなりになったことです。あなたのお母様がご健在でこの一家の一員であった時は、あなたの必要度は五四・三%もありました。さすがにお母様のあなたの必要度は一〇〇%近くありましたからね。しかし、お母様が亡くなってからは一二・一%にまで落ち込んでしまったのです。ボーダーラインの三〇%を大きく割ってしまったのです。確かに、あなたは家族に憎まれるような悪い人ではありません。子供さんも、今まであなたに特別に反抗することもなかった。それをあなたは理解のある父親像だと思っていたのかもしれません。しかし、あなたは家族と対話しようとすることを避けていた。あなたは家族から憎まれない代わりに、必要ともされなくなったのです」 「だ、だからって、こ、殺すことはないじゃないか」 「家庭のなかに無意味な人間がいることの息苦しさが、あなたには分からないんですか。対話することのない人間は無意味な人間なのです。それが外の人間であれば、付き合わなければいいだけのことですから問題はありません。しかし、それが家族であり、同じ家の中に住んでいる人であった場合には、いなくなってもらう他ないのです。では、御免」  男はまた日本刀を構えた。おれは慌てて言った。「わ、分かった。出て……、出ていく。だから、早くそれをしまってくれ。おれがこの家から出て行きさえすれば文句はないんだろう?」 「だめです。会社を辞めるのとはわけが違うのです。血の繋がりというものは死ぬまで消えません。殺す他にないのです」男は刀を大きく振り上げた。 「た、た、助けてくれーーーッ」おれはこわばって動かない体で必死になって襖を開けると、他の部屋にいる筈の家族に向かって叫んだ。  返事はなかった。家中が静まり返っていた。  男は、あい変わらず温厚そうな笑みを浮かべながら言った。 「無駄ですよ。誰も来ません。このことは、あなたの家族全員が潜在意識の中で承知していることです。耳があなたの声を捉えても、潜在意識が邪魔して脳まで伝えないのです。もっとも、たとえこの場面を見たとしても、止めに入るかは疑問ですがね。あなただって嫌いな上司が目の前で溺れていたとしても見て見ぬふりをするでしょう? ……さあ、覚悟して下さい」男は、刀を持つ手に力をこめた。 「ま、待ってくれ。お、おれが悪かった。何でもする。た、助けてくれ」おれは泣きながら懇願した。こんなことで相手の気持ちが変わるとは思えなかったが、やるしかなかった。「助けてくれ。お、お願いだ。頼む。家族の必要度のパーセンテージを三〇%以上にすればいいんだろう。も、もう一度、もう一度だけチャンスをくれ。た頼む。助けてくれ。チャ、チャンスを…………」  男はそんなおれの言葉には耳を貸さず切りつけてくる……かと思いきや、静かに刀を降ろすと鞘に収めた。 「そうですか。そんなにおっしゃるなら、チャンスを差し上げましょう。わたしも殺さないで済む状況になるならば、それに越したことはないのです」男は試すような眼でおれを見ながら唇の端で微笑んだ。 「ほ、本当か」 「でも、それはかなり難しいことだと思いますよ」 「いや、同じ過ちは二度と繰り返さないよ」おれは自信たっぷりに答えた。 「分かりました。わたしがもうここに来なくてよくなることを願ってますよ」そう言い残して、男は帰っていった。  しかし、男とおれはそれ以来何十回と顔を会わすことになったのである。男の顔は会う度に少しづつ変わっており、歳も若くなっていくようだったが。  それから数十年後、おれの家は子だくさん一家としてギネスブックに載った。まだまだ記録は伸びそうである。




評価

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作者からひとこと

 例によって「ムジカ」からの再録です。  べつに何ということもない作品なのですが、お正月ということで掲載しました。  オチは結構気に入ってます。 (1998/1/2)

初出

「ムジカ」第5号(1996年2月号)

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