バレンタインデー・キッズ
「ねえ、チョコレート欲しい?」 学校の帰り道。幼なじみの亜希に突然そう言われて、僕はドキッとした。 「そ、そりゃ欲しいけど、でも……」 「それじゃあねぇ、あたしに勝ったらあげる」 「えっ、勝つってなにで?」 「これよ。これ!」亜希は目の前にある数十段の石段を指さした。「先に下まで降りた方の勝ちね。シンちゃんが『ちょこれいと』でゴールできたらチョコあげる」 『ちょこれいと』とはチョキのこと。パーは『ぱいなっぷる』で、グーは『ぐりこのおまけ』である。つまり亜希は「ジャンケンで勝った方がその字数だけ進める」という、幼い頃によくやった遊びをやろうと言うのだ。 「え~、恥ずかしいよ。それに……」 「じゃあ、チョコいらないの?」 そりゃあ欲しいに決まってる。かくして勝負は始まった。 僕は順調に勝ち続けた。何かを賭けていると気合いが入るものだ。大きくリードした僕は、早くもあと一回勝てばゴールというところまで降りてきた。 「ふふふ。もうチョコはもらったも同然だな」 「じゃあいくよ。ジャンケン……」 「ポン!」 「グー。あたしの勝ち!」 「ちぇっ。次こそは……」 そこで、僕はハッと気づいた。グーやパーで勝ってゴールしたとしてもチョコはもらえないのだ。僕はチョキを出すしかない。これじゃあ、どう考えても勝てるわけがないじゃないか! 「ずるいよ! だましたな」 「何言ってんの。最初からそういうルールだったでしょ」 亜希は最初からチョコをくれる気なんてなかったのだ。僕はからかわれたのだ。 「ジャンケンポン!」 次々と勝ち続けた亜希はとうとう僕の隣までやってきた。 「さあ、これが最後の勝負よ」 「ああ……」 僕は気のない返事をした。あたりまえだ。どうせ勝てないんだから。 「いくわよ。ジャンケン……ポン! あ~あ。負けちゃった。しょうがないなぁ。はい、チョコレート。じゃあね!」 亜希は恥ずかしそうに僕から顔をそむけながら早口でそう言うと、最後の数段を全力で駆け下りていく。 その瞬間、僕の中に『あの日』の記憶が蘇った。 「……! 待て、亜希。止まるんだ!」 そう叫んだときには遅かった。石段を下り終えた亜希に向かって、一台のトラックが猛スピードで突っ込んできた。 「亜希ーッ!!」 そうだ。十年前の今日。まだ小学生だった僕らは同じようにこの石段でチョコレートを賭けたのだ。そして亜希は……。 トラックは亜希の体をすり抜けて、そのまま何事もなかったかのように走り去っていった。 亜希は「あの日もわざとパーを出しておけばよかったかな?」とにっこり笑うと、ふっと消えてしまった。 ひとり残された僕の腕には白い袋が下がっていた。十年前にはもらえなかったチョコレートだ。 「亜希……。やっぱりあの日をなかったことにはできないんだな……」 僕は開いたままだった右手の指を3本だけそっと握りしめた。