世界はふたりを中心にまわる
ずっと一緒にいたいと願う相手がいる一方で、一秒でも同じ場所の空気を吸っていたくないほど嫌いで嫌いでたまらない人間というのも存在する。
おれに対するあいつが、まさしくその人間だった。どのくらい気にくわないやつかというのは、とても一言では言い表せない。別に恨みがあるわけではないのだが、とにかく恐ろしいほどに性が合わないのだ。
しかし、そんな風に思っているやつほどなぜか縁があるもので、小中学校はともかく、高校、大学、大学院まで一緒。今は研究室こそ違うが、同じ分野の学者として活動しているのだ。
あんなやつに研究で負けるわけにはいかない。おれはやつを出し抜くことだけを生き甲斐に、研究に精を出した。早くこの研究を完成させて、やつとの腐れ縁を断ち切ってやる!
その執念の甲斐あって、とうとうその研究が実を結ぶ日が来た。
「くふふ。あいつの悔しがる顔が目に浮かぶぜ」
おれは自然に緩む顔をおさえつつ、長年の研究の成果『壁抜けスーツ』を着込んだ。
その名の通り、これを着れば壁でもなんでもすり抜けてしまうのだ。ノーベル賞など問題にならないほどの大発明である。
「さっそくテストだ」スーツを着込んだおれは、腰の部分にあるスイッチを押した。ブウンという音と共に、スーツが作動する。
試しに目の前の机に触ってみると、右手はするりと机をすり抜けた。
「やった、成功だ!」
しかし、喜んだのはほんの束の間だった。次の瞬間、おれの体は床を突き抜け、階下の部屋に出現した。そして、さらにその階の床までも突き抜ける。
おれの研究室は八階だ。このままでは危ない。おれはスイッチを切ろうと腰の辺りをさぐった。だが、おれの手は腰さえも突き抜けてしまう。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
絶叫と共におれは地面へと叩きつけられた。……のだが、体は地面さえも突き抜けた。さらに落下速度は増していく。
もう助かる術はない。
おれは覚悟を決めた。こんな形で死ぬのは残念だが、精一杯やった結果なのだ。悔いはない。やつを出し抜けただけでも意味があったではないか。6380キロの飛び降り自殺は世界一だろう。残念ながら記録には残らないが。
数回の振幅運動を繰り返した後、おれは完全に静止した。視界は真っ暗だったが、ここが地球の中心だということは間違いない。地球の中心は超高温の溶鉱炉と同じ……という説はどうやら間違いだったようだ。おれはこの闇と静寂の地中で、孤独に死んでいくのだ。
「誰かいるのか?」
おれがため息をもらしたその時、突然暗闇の中に声が響いた。
まさか、こんなところに人が? 助かったのか?! おれの前には一瞬希望の光が灯ったが、その光はすぐに前以上の闇に覆われた。
それはやつの声だった。やつも研究を完成させ、おれと同じ目に遭っていたのだ。
おれは餓死するまでの間、よりによって一番離れたかったやつとふたりきりで過ごす羽目になった。
しかも、世界中のどんな恋人たちもうらやむほどに、お互いの体をひとつに重ねあわせて……。
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1分で読めるショートショート「世界はふたりを中心にまわる」 https://www.tbook.net/ss/s/sf/
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あとがき
スタートレックTNGに「異次元に入ってしまって壁でも人間でもすり抜けるようになってしまう」という話があるんですが、 「なんで床はすり抜けないんだ!」という疑問を多くの人が抱いたと思います。
この話は「そのあたりを誤魔化さないで描いたらどうなるのか」と考えて書きました。
「呼吸はできるのか」「声は出せるのか」等、まだまだ疑問はつきないわけですが。
ラストの状態を想像していただけた方には楽しんでいただけたようです。
別作品の『高笑い』はこの作品のショートバージョンです。わずか9行。この後にリンクがあります。
(1999/3/1)
「なぜ落下までにタイムラグがあるのだ」というご意見があったので、まず上半身だけ機能を作動させ、その後下半身の機能を作動させることにしようと思ったのですが、そのスイッチをどうするかが大問題になってしまったのでやめました。飲み薬にして、じわじわと効能が足の裏にまでいきわたるという展開にしようかとも思いましたが、よく考えたら効能がいきわたる途中でグロテスクなことになりそうなのでやめました。本作では、「スイッチをオンにしてから足裏部分の機能有効になるまでにややタイムラグがあった」と考えてください。
これは『キテレツ大百科』の「かべぬけ服」とほぼ同じ服ですね。「かべぬけ服」は前述のスタートレックと同じ矛盾をはらんでいますが、『ドラえもん』の「どんぶら粉」は、「地底の奥底に落ちないように泳ぎ続けなければいけない」しくみになっているのが見事だと思います。
壁抜けスーツで「床を歩けるようにする」には、足裏の素材を通常のものにすればいいですが、これだと足裏だけ壁をぬけられないことになります。足裏も壁抜け可能にするには、「進入角度が鋭角なときだけ通り抜けられる」という構造の材質を開発するしかないのでしょう(うっかりバレリナーの立ち方をしたら階下に真っ逆さま)。
最近、映画『ザ・コア』を見ましたが、似たようなすりぬけ技術で地球の中心に行っていました。このような未知の技術が発見されない限り、地球の中心に行くのは銀河系から出ることよりも難しいことだと思います。穴を一定の大きさに保ったまま少しずつでも掘り進められる技術さえ獲得できれば、掘削の積み重ねでいずれは到達可能でしょうがそれもなかなか難しい技術でしょう。果たして誰かが中心到達を成し遂げる日は来るのでしょうか。
(2021/2/26)
関連リンク
作品履歴
- 初出:「ショートショート・メールマガジン」第9号(1999年2月23日号)
- 1999年:ウェブ公開
- 2021/2/26:新サイトに移転。縦書きに対応。修正。あとがきを追加
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