どんなことからでも学べるものがある。 些細な夫婦喧嘩をしてムシャクシャしていたその晩。おれはスーパーでバイトをしていた学生時代のことをふと思い出した。 * * おれが腐ってしまった精肉パックを廃棄処分しようとしたときのことだ。 「こら! 何をやっとるか!!」 店長が突然、烈火の如く怒りはじめたのだ。 「これだから戦後生まれのやつは困る。もったいないじゃないか!」 「……でも店長。こんな腐ったのを食べたら腹を壊して薬代がかかっちゃいますよ。そっちの方がもったいないじゃないですか」 「ばか。確かにその肉を全部1人で喰ったら腹を下すだろうよ。だが、ほんの1口だけだったらどうだ?」 「確かにそれなら大丈夫かもしれないですけど……」 「だろう? つまりこうするんだ」 店長は空のパック30個を手早くテーブル上に並べはじめた。 「今から1パック300グラムのミンチ肉をここに詰める。その腐った肉もミンチにして10グラムずつ混ぜるんだ。30パック詰めれば、腐った肉300グラムがきれいさっぱり消えるわけだ。どうだ?」 店長はおれの顔を見ると、鼻を鳴らして得意げに微笑んだ。 素直に店長の指示に従って作業をはじめたおれだが、2度とそのスーパーで買い物をしなかったのは言うまでもない。 * * そして現在。 おれも客相手の商売をはじめてから早十数年。その晩、当時のスーパーの店長の気持ちがやっと分かったのだった。 商売はなんといってもお客様に喜んでもらうのが第一。 知らなくてもいいような情報をわざわざ客に教える必要はない。 客が喜んでくれて繁盛しさえすれば、他のことなどどうでもいいじゃないか。 あの晩から数日経った今日も、おれの院内からは満足げな客たちの会話が絶えない。 「ここの形成外科の先生って本当に腕がいいのよね」 「あたし、切断した指をくっつけてもらったんだけど、後遺症が残るどころか前よりきれいで長くなったような気がするもの」 「ところで先生の奥様、最近お見かけしないけれどどうしたのかしら?」
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消費期限切れの食べ物を冷蔵庫で発見しても、すぐには捨てず、ぜひこのテクニックを試してみてください(食中毒を起こしてしまっても責任はとれないので、くれぐれもほどほどに……)。終盤のテクニックは決して真似しないように!
※初出時のあとがきにこのように書きましたが、健康が大事なので食べ物のテクニックも試さないように!(2020/6追記)
最初は
「自宅の冷蔵庫で腐りかけの肉を大量に見つけた男」
「少量ずつ毎日の料理に使っていくが追いつかない」
「タイムマシンで未来の自分に少量ずつ届けに行く」
「それを繰り返すうちに一生腐った食材しか口にできなくなる」
……といった構想だったのですが、結局読んでいただいた形に落ち着きました。
(2006/9)
作品発表から一年後の2007年に、ミートホープ牛ミンチ偽装事件が話題になりました。勇気ある内部告発で発覚した事件で、「アンビリバボー」等のテレビ番組でも再現ドラマになっていました。その偽装のやり方が作中の店長よりもはるかに酷かったので驚き、「小説は事実より奇じゃない」と思いました。作中の「おれ」の偽装も、世界のどこかでは行われているのでしょう。
(2020/6)
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